ブロイラー雛生産の
トップランナーとして

終戦後の1949年、私の父とその弟が竹内種鶏孵卵場としてわずか十数羽の親鳥からはじめた養鶏業は、年間5600万羽のヒヨコを生産する全国2位のブロイラー雛生産会社として成長を遂げました。当時はまだ農協もなく、7人の組合員が石井養鶏農業協同組合として活動をしていた時代です。その後、種鶏孵卵の事業を行うために、1969年に現在の〝イシイ〟が創業しました。

東京商工リサーチ(2019年2月現在)によると、全国に農業関係の法人が1370社以上あり、徳島県内では約120社となっています。弊社の売上高を見てみると、全国では44位、県内では1位となっており、売り上げの6割を雛販売事業が占めています。後の4割は、設備機器の設置・販売やワクチン卵の開発・販売となっており、それぞれの周辺事業がうまく噛み合いながら業績を伸ばしております。

経営というキャンバスに
未来を描いている

私が高校生の頃は、会社を経営する父の姿を見て「人の人生を背負う仕事は、自分なんかには無理だ」と思っていました。
絵を描くのが好きで、その頃は高校の美術教師になろうと考えていたのです。
しかし、父の私に対する後継者としての期待は大きく、それに反発して1週間ほど家出をしたことがありました。
家に戻った時には家中が大騒ぎでしたが、怒られることもなく父は「お前の好きな人生を歩めばいい」と言ったのです。
あの時に初めて見た父の涙が、私の人生を大きく変えたのかもしれません。

日本の大学を卒業後は、語学を学ぶためにアメリカのミズーリ大学に入学。卒業後は貿易関連や外資系の銀行など、語学が活かせる企業に就職しました。1984年にイシイに入社し、創業30年の節目に社長に就任。オイルショックの時代に父が会社の経営危機に直面した経験から「会社経営を安定させるため、事業を3本柱にしよう」と決意してスタートさせたのが、鶏舎や設備機器やインフルエンザワクチン製造用卵の開発・販売でした。あの頃に夢見た「絵を描く」という未来は〝経営〟というキャンバスの上に未来を描く仕事へと姿を変え、私やスタッフ一人ひとりに夢と希望を与えてくれています。

人と動物の環境を
両面から考える

21世紀になってすぐに設けた弊社の経営理念は「環境保全と動物福祉を考え、関係する人々と動物の生活をよりよくする」です。鶏は野生動物ではないため、人が24時間365日面倒を見なければなりません。暑いときは部屋を涼しくしたり、エサや水を与えたり、病気をすれば薬も必要になります。ヒヨコの世話をする人間が心身共に元気であるためにも、まずは働く人の職場改善を図り、その次に鶏が健康に育つように設備や飼育を改善する。つまり、人と鶏の環境を両面から考えることで、そこに関係する人々と鶏の生活がより良くなるという意味を持っています。
近年になって〝働き方改革〟という言葉が使われるようになりましたが、弊社ではその取り組みをいち早く行ってきたと自負しています。

さらなる成長を

近年では30代の女性部長が誕生するなど、若い女性が活躍する場面も増えてきました。「生き物の命を扱う」という仕事は、男女を問わず活躍の場が広がっていると言えるでしょう。

また、養鶏ビジネスの未来づくりのため、東京農業大学の非常勤講師を8年にわたって務めるとともに、家畜福祉学寄附講座シンポジウムなどの活動にも携わってきました。こうした若い力や可能性を育てるための取り組みを本業にも活かし、会社の未来を担う若い世代の方と一緒に、新たなイシイの歴史を築いていくことを夢見ています。人と動物のより良い環境をつくるために、ぜひこの仕事にチャレンジしてください。

代表取締役社長竹内 正博